クムフラとは?|レフアナニ佐竹から知る、フラを受け継ぐということ
はじめに|「クムフラ」とは、どのような存在なのでしょうか?
フラを学んでいると、いつか耳にする言葉の一つに「クムフラ(Kumu Hula)」があります。
日本では「フラの最高指導者」「厳しい試験を通過した人」と説明されることもありますが、本来の意味はもう少し奥深いものです。
ハワイ語のkumuには、先生、教える人という意味があります。また、物事の「基礎」や「源」という意味にもつながる言葉です。
そのため、クムフラとは単に踊りを教える人ではなく、フラについて学んできた知識や伝統を受け継ぎ、それを次の世代へ伝えていく存在と考えると分かりやすいでしょう。
そして、日本でまだフラが広く知られていなかった時代から、その世界へ深く関わってきた先駆者の一人がレフアナニ佐竹先生(Lehuanani Satake)でした。
今回は「クムフラとは何か」というところから、ʻūniki(ウニキ)との関係、日本とハワイでの考え方、そしてレフアナニ佐竹先生が日本のフラに残した足跡まで、ゆっくりたどってみたいと思います。
クムフラとは?「先生」だけでは表せない言葉
Kumu Hula(クムフラ)は、一般的には「フラの先生」「フラの指導者」という意味で使われます。
ただし、日本でいう資格や免許と、まったく同じ仕組みではありません。
ハワイのフラは、それぞれのハーラウやクムによって受け継がれてきた系譜があります。
どのような踊りを学ぶのか。
どのようなメレやオリを受け継ぐのか。
どのような考え方や作法を大切にするのか。
それぞれのハーラウには、その先生から、そのまた先生へと続いてきた学びがあります。
そのため、クムフラという言葉を一つの統一された「資格」として考えるより、自分が受け継いだフラを次の世代へ伝えていく責任を持つ先生と捉える方が、本来の姿に近いでしょう。
ʻūniki(ウニキ)とは?クムフラになるための試験ではありません
クムフラについて調べると、よく一緒に登場する言葉がʻūniki(ウニキ)です。
ʻūnikiは、長い学びを重ねた生徒が、その段階を修了したことを認められる卒業の儀礼として行われるものです。
ハーラウによっては、選ばれた生徒が長期間にわたって特別な学びを重ね、ʻūnikiを経てクムフラや指導者として新たな役割を担うことがあります。
しかし、ここで大切なのは、ハワイ全体に一つの「クムフラ国家資格」のような制度が存在するわけではないということです。
ʻūnikiのあり方も、教える内容も、その先に与えられる役割も、フラの系譜やハーラウによって異なります。
だからこそフラでは、「誰から学んだのか」という系譜がとても大切にされています。
先生の名前だけではなく、その先生が誰から学び、その知識がどのようにつながってきたのか。
そこには、フラという文化が人から人へ受け継がれてきた長い物語があります。
レフアナニ佐竹先生が活躍した、日本のフラ黎明期
現在の日本では、全国各地にフラ教室があり、ハワイのクムフラから直接学ぶ機会も珍しくなくなりました。
しかし、レフアナニ佐竹先生がフラを学び始めた時代は、まったく状況が違いました。
日本でフラを専門的に学べる環境そのものが、まだ十分には整っていなかった時代です。
佐竹先生は、同じく日本のフラ黎明期を支えたカレイナニ早川先生とともにハワイでフラを学びました。
お二人は後にNHKのテレビ番組へ出演し、「日本で初めてフラの名取になった」と紹介されています。
今のようにインターネットもなく、ハワイの文化やフラに関する情報も簡単には手に入らなかった時代。
ハワイへ渡り、現地で学び、それを日本へ持ち帰ること自体が、大きな挑戦だったことでしょう。
初代フラガールの育成にも関わったレフアナニ佐竹先生
レフアナニ佐竹先生の歩みを語るうえで欠かせないのが、現在のスパリゾートハワイアンズへとつながる歴史です。
1960年代、福島県いわき市では、炭鉱産業から新しい産業へ転換するため、「常磐ハワイアンセンター」という壮大な計画が進められていました。
その舞台で踊るダンサーを育てるため、1965年に常磐音楽舞踊学院が設立されます。
第1期生として集まった18人の若い女性たち。
その初期指導に携わったのが、カレイナニ早川先生とレフアナニ佐竹先生でした。
お二人は踊りを教えるだけではなく、一人の舞台人として人前に立つための基礎から若いダンサーたちを育てていきました。
その生徒たちが、後に広く知られるようになる「フラガール」の始まりです。
現在では日本を代表するハワイ文化の発信地の一つとなったいわき市。その歴史の最初のページにも、レフアナニ佐竹先生の名前があります。
「日本人初のクムフラ」と呼ばれてきた佐竹先生
レフアナニ佐竹先生について、日本では長く「日本人初のクムフラ」と紹介されることがあります。
一方、現在確認できる資料を丁寧に見ていくと、「日本人で最初にʻūnikiを受け、クムフラになった」とまで明確に示す記録は多くありません。
当時の記録では、カレイナニ早川先生とともに「日本で初めてフラの名取になった」と紹介されたことや、佐竹先生がハワイで長くフラを学び、現地でも指導できる資格を得た日本人の先駆者だったことが伝えられています。
そのため、現在の記事では「日本人初」という称号そのものを強調するよりも、日本人が本格的にハワイでフラを学び、日本へ伝えていく道を早い時代に切り開いた先駆者として、その功績を見る方がよいでしょう。
大切なのは「最初だったかどうか」だけではありません。
まだ道のないところに一歩を踏み出し、その後に続く人たちが学べる道を作ったこと。
そこに、レフアナニ佐竹先生の大きな功績があります。
フラで受け継がれるのは、振り付けだけではない
先生からフラを学ぶとき、最初に目に見えるのはステップや手の動きかもしれません。
けれど、フラを長く学んでいくと、それだけではないことが少しずつ分かってきます。
なぜ、この場所で手を伸ばすのか。
なぜ、この言葉で表情が変わるのか。
メレの中に登場する山や海はどこにあるのか。
その花や風には、どのような意味が込められているのか。
一つ一つを知っていくことで、それまで「動き」に見えていたものが、少しずつ「物語」へと変わっていきます。
フラの手の動きについては、「フラの手は、なぜ花や波を描くの?|指先に込められた物語」でも詳しく紹介しています。
クムフラや先生から受け継ぐものとは、振り付けの形だけではありません。
そのメレをどう理解するのか。
ハワイの文化にどう向き合うのか。
学んだものをどのような姿勢で次の人へ伝えるのか。
そうした目には見えない部分も含めて、フラは人から人へと受け継がれていきます。
ハワイ語を知ると、フラの景色も変わっていく
フラとハワイ語は切り離すことができません。
踊っている曲の意味を知ることで、それまで何となく動かしていた手にも、違う気持ちが生まれてきます。
たとえば「海」という言葉一つでも、そのメレが歌っているのは穏やかな海なのか、荒々しい波なのか、思い出の場所なのかによって表現は変わります。
ハワイ語特有のʻokinaや長母音も、単なる記号ではなく、言葉を正しく伝えるための大切な要素です。
ハワイ語については、「ハワイ語の“長母音”と“ʻokina”はなぜ重要?」でも紹介しています。
言葉を知ることは、その土地の人々が見てきた景色を少しずつ知ることでもあります。
これもまた、フラを学ぶ大切な時間なのです。
ハラウ オ ラ・フラ ナオミに受け継がれている学び
ハラウ オ ラ・フラ ナオミ主宰の寺田名保美も、レフアナニ佐竹先生のもとでフラを学んできました。
現在のレッスンでも大切にしているのは、ただ振り付けを覚えて一曲を完成させることだけではありません。
どのような歌なのか。
何を表現しているのか。
そこにはどのようなハワイの景色や物語があるのか。
できるだけその背景にも触れながら、一曲一曲を楽しんで学んでいきます。
先生から教わったものをそのまま保存しておくのではなく、自分の中で大切に育て、それをまた次の人へ伝えていく。
フラが長い年月を越えて受け継がれてきた理由も、そこにあるのかもしれません。
今の日本だからこそ、「誰から学ぶか」を大切に
現在は、動画やSNSを使えば世界中のフラを見ることができます。
昔と比べれば、ハワイ語や歴史について調べることもずっと簡単になりました。
とても恵まれた時代です。
一方で、動画を見れば振り付けだけを覚えることもできてしまいます。
だからこそ、今改めて大切にしたいのが、「誰から、どのように学んでいるのか」ということではないでしょうか。
フラには、その踊りを作った人がいて、その人が学んだ先生がいて、さらにその前にも先生がいます。
一本のレイが一輪一輪の花をつないでできているように、フラも人と人とのつながりによって今日まで続いてきました。
そのつながりを意識することは、ハワイ文化への敬意にもつながります。
まとめ|クムフラとは、フラを未来へつなぐ存在
「クムフラとは何ですか?」と聞かれれば、最もシンプルな答えは「フラの先生」です。
けれど、その言葉の向こうには、もっと大きな意味があります。
自分が先生から受け取った知識を学び続けること。
メレや文化を大切にすること。
そして、それを次の世代へ手渡していくこと。
レフアナニ佐竹先生が歩んだ時代を振り返ると、日本でフラを学べることが決して当たり前ではなかったことが分かります。
佐竹先生やカレイナニ早川先生をはじめとする先人たちがハワイへ渡り、学び、日本へ伝えてきたからこそ、その後に続く多くの人たちがフラと出会えるようになりました。
大切なのは「誰が最初だったのか」という肩書きだけではありません。
何を学び、何を大切にし、そして何を次の人へ残したのか。
先生から生徒へ。
そして、その生徒から次の世代へ。
フラを踊る私たち一人ひとりも、その長いつながりの中にいるのかもしれませんね。