レフアナニ佐竹が日本のフラに残したもの|受け継がれる教えとその功績
はじめに|日本のフラの歩みを支えたレフアナニ佐竹先生
日本でフラを楽しむ人がこれほど多くなった現在、その背景には、まだフラが広く知られていなかった時代からハワイへ渡り、本場の文化に触れ、日本へ伝えてきた先駆者たちの存在があります。
その一人が、レフアナニ佐竹先生(Lehuanani Satake)です。
レフアナニ佐竹先生は、戦後の日本におけるフラの普及を支え、ハワイで長く学びながら、日本とハワイをつないできたフラ指導者でした。
2013年にその生涯を閉じましたが、佐竹先生が残したものは、振り付けや踊り方だけではありません。
メレの意味を知ること、ハワイの歴史や文化に目を向けること、そしてフラを大切に次の世代へ伝えていくこと。
現在、日本で当たり前のように語られるようになった「フラの背景まで学ぶ」という姿勢の中にも、佐竹先生をはじめとする先人たちが積み重ねてきた歩みを見ることができます。
今回は、レフアナニ佐竹先生の歩みを振り返りながら、日本のフラ文化に残した功績と、その教えが今へと受け継がれている理由をたどってみましょう。
レフアナニ佐竹先生が歩んだ、日本でまだフラが珍しかった時代
現在では全国各地にフラ教室があり、ハワイ語の歌詞を学んだり、ハワイの歴史や神話について知ったりすることも珍しくありません。
しかし、レフアナニ佐竹先生が活動を始めた時代、日本におけるフラの環境は今とは大きく異なっていました。
フラそのものが現在ほど広く知られておらず、ハワイへ渡って本格的に学ぶ日本人も決して多くはありませんでした。
そんな時代に佐竹先生はハワイでフラを学び、同じく日本のフラ黎明期を支えたカレイナニ早川先生とともに活動していきます。
お二人の歩みは、その後の日本のフラ史における大きな出来事へとつながっていきました。
常磐音楽舞踊学院と「フラガール」の始まり
1960年代、炭鉱産業の転換期を迎えていた福島県いわき市では、新しい観光事業として「常磐ハワイアンセンター」の建設計画が進められていました。
1965年4月には、後にフラガールを育てることになる常磐音楽舞踊学院が設立されます。
翌1966年の常磐ハワイアンセンター開業へ向け、若いダンサーたちの育成が始まり、その初期のポリネシアンダンス指導に携わったのが、カレイナニ早川先生とレフアナニ佐竹先生でした。
後に「フラガール」として知られるようになるダンサーたちの第一歩を支えたお二人だったのです。
今日では、福島県いわき市とフラの結びつきは広く知られています。
その歴史をさかのぼっていくと、日本でまだフラが珍しかった時代に、その魅力を伝えようとした人々の姿にたどり着きます。
レフアナニ佐竹先生も、その大切な一人でした。
ハワイで深めていったフラへの学び
その後、佐竹先生はハワイへ移り住み、長い年月をハワイで過ごします。
現地でフラを学び続けながら、ハワイでもフラを指導できる資格を得た日本人の先駆者として知られるようになりました。
ここで大切なのは、フラとは単にステップや振り付けを覚える踊りではないということです。
メレには、土地の名前や風景、人への思い、王族の歴史、神話、そして自然への敬意など、さまざまな意味が込められています。
海、山、風、雨、花。
私たちが何気なく目にする自然も、ハワイの文化の中では、それぞれが物語や記憶と深く結びついています。
フラを深く学ぶということは、踊りだけではなく、その向こう側にあるハワイを知ろうとすることでもあります。
佐竹先生がハワイで長く学び、日本へ伝えていったものも、単なる「踊り方」だけではなかったのでしょう。
フラ・カヒコを学ぶということ
フラにはさまざまな表現がありますが、その中でもハワイの伝統や歴史と深く結びついているのが、フラ・カヒコ(Hula Kahiko)です。
カヒコでは、オリやメレ、伝統的な打楽器などとともに、ハワイの歴史、自然、神々、王族にまつわる物語などが表現されます。
華やかな衣装とハワイアンミュージックに合わせて踊る現代のフラとは、また違った世界がそこにはあります。
佐竹先生のもとでも、踊りだけを見るのではなく、その背景にある文化を学ぶ姿勢が大切にされてきました。
「振り付けを覚えたら終わり」ではありません。
なぜ、この手の動きをするのか。
このハワイ語は何を意味しているのか。
このメレでは、どの土地やどのような思いについて歌われているのか。
そこまで知ることで、同じ一曲でも見える景色は大きく変わってきます。
フラの手の動きにも、それぞれのメレが描く物語があります。詳しくは「フラの手の動きには意味がある?花や波を表現する理由」でも紹介しています。
技術だけでは伝えられないもの
フラを長く続けていると、上手に踊ることだけでは表現できないものがあることに気づきます。
ステップを正確に踏み、手の位置をそろえることはもちろん大切です。
けれど、そのメレが何を語っているのかを知らなければ、本当に伝えたい情景や思いは見えてきません。
先生から生徒へ伝えられるものも、振り付けだけではありません。
ハワイへの敬意。
一緒に踊る仲間を大切にする心。
学んだものを自分だけのものにせず、次の世代へ伝えていくこと。
こうしたものが少しずつ受け継がれていくことで、一つのハーラウの文化が生まれていきます。
レフアナニ佐竹先生が長い年月をかけて伝えてきたフラも、弟子たちを通じ、さらにその生徒たちへと受け継がれていきました。
ハラウ オ ラ・フラ ナオミにも受け継がれる教え
ハラウ オ ラ・フラ ナオミ主宰の寺田名保美も、レフアナニ佐竹先生のもとでフラを学んできた一人です。
長いフラ人生の中で学んできたのは、踊りの技術だけではありません。
歌詞の意味を知ること。
ハワイの歴史や文化を知ること。
そして、フラを楽しみながら大切に伝えていくこと。
現在のレッスンでも、ただ振り付けを覚えるだけではなく、曲の背景やメレの意味にも触れながらフラを楽しむことを大切にしています。
ハワイ語は、文字を読むだけではなく、その音や意味を大切に受け取ることもフラを学ぶ楽しさの一つです。「ハワイ語の長母音とʻokinaとは?」でも、言葉と文化のつながりについて紹介しています。
一人の先生から受け取ったものが、その生徒へ。
そして、その生徒から次の世代へ。
そう考えると、フラという文化は、人と人とのつながりの中で生き続けているものなのかもしれません。
時代が変わっても、大切にしたいフラの心
日本のフラを取り巻く環境は、この数十年で大きく変わりました。
現在では、ハワイ語やハワイの歴史について調べることも以前より容易になり、日本にいながらハワイのクムフラから学ぶ機会も増えています。
日本からハワイのイベントや大会へ参加する人もいれば、ハワイのハーラウとつながりながら学ぶ教室もあります。
けれど、学ぶ方法がどれほど変わっても、大切にしたいものがあります。
その踊りが生まれた文化を尊重することです。
フラはハワイから生まれた文化です。
だからこそ、踊りを楽しむと同時に、その言葉や歴史、自然、そこに暮らしてきた人々への敬意を忘れないこと。
そして、一緒に学ぶ人とのつながりを大切にすることも、フラの時間を豊かなものにしてくれます。
ハーラウで仲間とのつながりが育っていくことについては、「フラのレッスンで名前を呼び合うのはなぜ?」でも紹介しています。
こうした小さな積み重ねこそが、先人たちが長い年月をかけてつないできたフラを、未来へ受け渡していくことにつながるのではないでしょうか。
まとめ|レフアナニ佐竹先生が残したものは、今も踊りの中にある
レフアナニ佐竹先生は、日本でフラがまだ広く知られていなかった時代からハワイで学び、常磐音楽舞踊学院での指導や、その後の長い活動を通して、日本のフラ文化を支えてきた先駆者の一人です。
2013年にその生涯を閉じてから年月が過ぎても、その教えまで消えてしまったわけではありません。
先生から生徒へ。
生徒から、そのまた次の生徒へ。
フラが踊り継がれるたびに、その中に受け継がれていくものがあります。
一曲のメレの意味を知ろうとすること。
ハワイの歴史や文化に興味を持つこと。
そして、仲間とともに心を込めて踊ること。
それもまた、レフアナニ佐竹先生をはじめとする先人たちが日本に根づかせてきたフラを、次の時代へつないでいく一つの形なのでしょう。
フラには、一曲一曲に物語があります。
その物語に耳を傾けながら踊ることを、これからも大切にしていきたいですね。