ハワイ王朝とフラダンスの歴史|王族が守り育てたハワイ文化
ハワイのフラを深く知ろうとすると、必ずと言ってよいほど王族(aliʻi)の歴史へたどり着きます。
フラは、神々や自然だけでなく、王や王族の系譜、功績、土地との結びつきを伝えるためにも大切にされてきた文化だからです。
特に19世紀のハワイ王国では、西洋との接触によって社会が大きく変化する中、フラもまた規制と復興という大きな転換を経験しました。
そして、その歴史で特に重要な存在となったのが、カラカウア王です。
一方、リリウオカラニ女王をはじめとする王族たちは、フラだけでなく数多くのメレや音楽を残し、ハワイ語による表現文化を後世へ伝えました。
今回は、ハワイ王朝とフラダンスの関係を中心に、王国成立から王政の終焉、そして現代のフラへとつながる歴史をたどってみましょう。
ハワイ王国が生まれる以前から、フラと王族は深く結びついていた
ハワイ王国が成立する以前から、各島にはaliʻi(アリイ)と呼ばれる首長や高位の人々がいました。
フラやメレは、こうしたaliʻiと深く結びついていました。
王族や首長を讃えるmele inoa(名前を讃えるメレ)や、祖先から続く系譜を伝える言葉などが作られ、それらがフラとともに表現されることもありました。
ハワイには文字による記録が広く用いられる以前から、豊かな口承文化がありました。
メレやオリ、フラを通して、
- 王族の系譜
- 重要な人物の功績
- 神々や祖先の物語
- 土地にまつわる記憶
- 歴史的な出来事
などが次の世代へ伝えられてきました。
現在のメリー・モナーク・フェスティバルも、フラが系譜、神話、歴史、宗教などを記録・表現してきた文化であることを紹介しています。:chatgpt-content-reference{index=”1″}
つまり、王族とフラの関係はハワイ王国成立後に突然始まったものではなく、それ以前から続いてきた文化的なつながりだったのです。
カメハメハ1世とハワイ王国の成立
18世紀末から19世紀初頭にかけて、カメハメハ1世はハワイ諸島の統一を進めました。
1795年にはオアフ島まで勢力を広げ、1810年にはカウアイ島とニイハウ島もその統治を受け入れ、ハワイ諸島は一つの王国としてまとめられていきます。
こうして誕生したハワイ王国では、伝統的なaliʻi社会を基礎としながら、新しい国家の形が作られていきました。
当時のフラは、王族を讃えるメレや歴史、系譜などを表現する文化として存在していました。
ただし、「カメハメハ大王が戦士の訓練としてフラを積極的に利用した」といった説明については、確かな資料で裏付けられているとは言いにくいため、単純に結びつけない方がよいでしょう。
重要なのは、カメハメハ王朝の時代にも、フラやメレを含むハワイ固有の文化が王族と人々の暮らしの中で受け継がれていたということです。
1819年以降、ハワイ王国とフラを取り巻く環境が変わる
カメハメハ1世が1819年に亡くなると、その後を継いだカメハメハ2世(リホリホ)の時代に大きな社会変化が起こります。
1819年、長くハワイ社会を支えてきたkapu(カプ)制度が廃止されました。
これによって、伝統的な宗教制度や神殿を中心とした社会のあり方も大きく変化していきます。
そして1820年には、アメリカからプロテスタント宣教師がハワイへ到着しました。
宣教師の多くは、ハワイの伝統的な信仰と結びついたフラを好ましくないものと考えていました。
その影響を強く受けるようになった王族もいます。
カアフマヌと1830年のフラ規制
この時代に重要な人物の一人が、カメハメハ1世の妃であり、その後王国の政治に大きな影響力を持ったKaʻahumanu(カアフマヌ)です。
キリスト教へ改宗したカアフマヌは、1830年に公の場で行われるフラを禁じました。
その後もフラへの規制は続き、1851年には公共のフラ公演に許可を必要とする法律が制定されます。
この時期について「宣教師がフラを完全に禁止した」と説明されることがありますが、歴史はそれほど単純ではありません。
実際には王国政府やキリスト教へ改宗した王族による規制が行われ、公の場でフラを披露することが難しくなりました。
一方で、フラそのものがハワイから完全に消えたわけではありません。
家庭や地域、フラを受け継ぐ人々の間で、踊りやメレは継承され続けました。ハワイ大学の資料でも、1830年に公のフラが禁じられた後もフラが続いていたことが確認できます。:chatgpt-content-reference{index=”2″}
王族を讃えるメレとフラは受け継がれ続けた
公のフラが制限された時代にも、王族を讃える文化がなくなったわけではありません。
王や王族のために作られるmele inoaをはじめ、多くのメレが残されました。
例えばカメハメハ5世には、「Aliʻiolani」と呼ばれる名前を讃えるメレが伝えられています。
ハワイのメレには、人物を直接説明するだけでなく、花、雨、山、風景などを通じ、その人の美しさや威厳、土地との関係を表現するものがあります。
こうしたハワイ語独特の詩的表現は、後のフラにも大きな影響を与えました。
フラを理解するときには、動きだけでなく「誰のために作られたメレなのか」を知ることも大切なのです。
カラカウア王|フラを再び王国の表舞台へ
ハワイ王国とフラの関係を語るうえで、最も重要な人物の一人がDavid Kalākaua(デイヴィッド・カラカウア王)です。
カラカウア王は1874年に即位しました。
西洋文化を積極的に学びながら、その一方でハワイ語、メレ、神話、フラなど、自分たちの文化を守り、再び公の場で大切にすることにも力を注ぎました。
その姿勢は、当時の宣教師系社会から強い批判を受けることもありました。
それでもカラカウア王は、フラをハワイ文化の重要な表現として支持し続けます。:chatgpt-content-reference{index=”3″}
1883年の戴冠式とフラ
1883年2月12日、イオラニ宮殿でカラカウア王とカピオラニ王妃の戴冠式が行われました。
祝賀行事は約2週間にわたり、夜ごとにフラが披露されました。
各地のクムフラに対し、ハーラウを率いてホノルルへ来て宮殿で踊るよう招待が送られています。:chatgpt-content-reference{index=”4″}
さらに、この祝賀のために「Papa Kuhikuhi O Na Hula Poni Moi」と呼ばれるフラの演目表まで印刷されました。
フラが王国の公式行事で堂々と披露されたことは、長年の規制を経験してきたハワイ文化にとって大きな意味を持ちました。
カラカウア時代に生まれたHula Kuʻi
カラカウア王の時代には、古いものをそのまま保存するだけでなく、新しいハワイ文化も生み出されました。
その代表的なものの一つがHula Kuʻi(フラ・クイ)です。
研究者エイミー・スティルマンによれば、1883年の戴冠式をめぐる文化的な動きの中で、フラ・クイはハワイ人としての誇りを表現し、カラカウア王の統治を支える文化表現として用いられました。:chatgpt-content-reference{index=”5″}
Kuʻiには「つなぐ」「結び合わせる」といった意味があります。
伝統的なハワイの表現と、新たに入ってきた音楽的要素が組み合わされていった時代を象徴するフラでもあります。
後に発展するフラ・アウアナへつながる流れを考えるうえでも、重要な存在です。
1886年のジュビリー|王宮に響いたフラとメレ
1886年、カラカウア王の50歳を祝うSilver Jubilee(シルバー・ジュビリー)がイオラニ宮殿で開催されました。
祝賀行事は2週間にわたり、フラの踊り手とhoʻopaʻa(チャントや伴奏を担う人々)が、公の場で演じました。
王には、48のチャントを収めた『Nā Mele ʻAimoku』も贈られています。
そこにはカラカウア王だけでなく、過去の統治者を讃える古い作品も収められていました。:chatgpt-content-reference{index=”6″}
王国の近代化を進めながら、自国の言葉、メレ、フラも同時に未来へ残そうとした。
そこに、カラカウア王の文化政策の大きな特徴を見ることができます。
「フラは心の言葉」|カラカウア王に伝わる言葉
カラカウア王には、フラを象徴する有名な言葉が伝えられています。
“Hula is the language of the heart, therefore the heartbeat of the Hawaiian people.”
「フラは心の言葉であり、だからこそハワイの人々の鼓動である」といった意味です。
ハワイ大学もこの言葉をカラカウア王の言葉として紹介し、フラがハワイの世界観において持つ文化的な価値を示すものとしています。:chatgpt-content-reference{index=”7″}
フラを単なる余興としてではなく、自分たちの文化、歴史、言語そのものと結びついた存在として考えていたことが伝わる言葉です。
リリウオカラニ女王と、王族が残したハワイアンミュージック
カラカウア王の妹で、ハワイ王国最後の君主となったQueen Liliʻuokalani(リリウオカラニ女王)も、ハワイの音楽文化を語るうえで欠かせない存在です。
リリウオカラニ女王は優れた作曲家でもあり、生涯に数多くのメレを残しました。
有名な「Aloha ʻOe」も、女王によって作られた作品です。:chatgpt-content-reference{index=”8″}
カラカウア、リリウオカラニ、リケリケ、レレイオホクの4人の王族は、Nā Lani ʻEhā(ナ・ラニ・エハー/4人の王族)と呼ばれます。
4人はハワイの詩的表現と西洋から入った音楽を組み合わせながら、多くの新しい作品を生み出しました。:chatgpt-content-reference{index=”9″}
こうして王朝後期には、ハワイ固有の言葉や感性を守りながら、新しい音楽文化も育っていったのです。
1893年|王政が終わっても、フラとメレは終わらなかった
1893年、リリウオカラニ女王の政府が倒され、ハワイ王国の王政は終わりを迎えます。
しかし、それはハワイの文化そのものが消えたことを意味しませんでした。
王政の終焉後も、人々はハワイ語でメレを作り、歌い、踊り続けました。
1895年には、リリウオカラニ女王が拘束されていた時代の人々の思いを伝える多くの政治的・愛国的メレを収めた『Buke Mele Lāhui』も刊行されています。:chatgpt-content-reference{index=”10″}
言葉やメレは、人々の記憶や誇りを伝える重要な手段であり続けました。
そして、そのメレを身体で表現するフラも、次の世代へ受け継がれていきます。
カヒコとアウアナを「王朝以前・王朝以後」で分けすぎない
現在のフラは、大きくHula Kahiko(フラ・カヒコ)とHula ʻAuana(フラ・アウアナ)に分けて説明されることがあります。
ただし、「王朝時代のフラ=すべてカヒコ」「王朝が終わってからアウアナが生まれた」と考えると、実際の歴史を単純化しすぎてしまいます。
古くからフラには数多くの種類が存在しました。
そして王朝後期には、ハワイの伝統的な詩やリズムと、西洋から入った楽器や音楽がすでに混ざり合い始めています。
現在よく使われるカヒコとアウアナという大きな分類は、こうした長い変化を整理するためのものと考えると分かりやすいでしょう。
ハワイ大学も、現在広く知られるスタイルとしてカヒコとアウアナを挙げる一方、フラにはhula pahu、hula noho、hula ʻōlapaなど数多くの種類があることを紹介しています。:chatgpt-content-reference{index=”11″}
現代のメリー・モナークに生きる王朝の記憶
現在、世界中のフラ関係者から注目されるMerrie Monarch Festival(メリー・モナーク・フェスティバル)。
この「Merrie Monarch」という名前こそ、カラカウア王の愛称です。
現在の大会では、ハーラウがカヒコとアウアナの両方を披露し、メレ、衣装、植物、言葉、歴史などを含めた総合的なフラの表現を競います。:chatgpt-content-reference{index=”12″}
フェスティバルは単なるダンス大会ではありません。
カラカウア王が大切にしたハワイの言葉や文化を、次の世代へ伝え続ける場でもあります。
1886年のジュビリーの精神を、現在のヒロで受け継いでいるとも言えるでしょう。:chatgpt-content-reference{index=”13″}
王族とフラの歴史を知ると、メレの見え方が変わる
普段フラを踊っていると、メレの中に王族の名前やハワイの土地が登場することがあります。
そのとき、「なぜこの人物が歌われているのだろう」「この土地と王族にはどんな関係があったのだろう」と少し調べてみると、一曲の見え方が大きく変わります。
王族を讃えるメレには、単なる人物紹介ではなく、系譜、土地、自然、マナ、歴史が幾重にも重ねられていることがあります。
そうした背景を理解して踊ることも、フラを深く学ぶ楽しみの一つです。
フラ全体の歴史については、「フラダンスの歴史と起源|弾圧と復興を越えて受け継がれたハワイ文化」でも詳しく紹介しています。
まとめ|ハワイ王朝とフラは、ともに文化を未来へつないだ
ハワイ王朝とフラダンスの歴史は、単に「王様の前で踊られていた」というだけの関係ではありません。
フラとメレは、王族の系譜や功績、ハワイの土地や歴史を伝える文化として、王国の時代にも重要な役割を果たしました。
一方、19世紀にはキリスト教や社会制度の変化によって、公のフラが厳しく制限された時代もありました。
そして、その流れを大きく変えた人物の一人がカラカウア王です。
1883年の戴冠式や1886年のジュビリーでフラを堂々と王国の舞台へ戻し、ハワイ語やメレ、神話とともに自国の文化を未来へ残そうとしました。
リリウオカラニ女王たち王族も、数多くのメレを通してハワイの言葉と感性を後世へ伝えています。
王政そのものは1893年に終わりました。
けれど、王族が大切にしたメレとフラは消えませんでした。
現在もハーラウで踊られる一曲一曲の中に、当時の言葉や土地、人々の記憶が残っています。
フラを学ぶことは、踊りを覚えるだけではなく、こうしたハワイの歴史に触れることでもあるのです。